がんサバイバーとは
がんサバイバーの集まりに1度来てみませんか?
と、誘われたのですが、貴女誰ですか(;´Д`)
そもそもがん患者つってもピンキリでしょ?
もうすぐお迎えが来る人と、手術したら治りそうな人、やり残したことがある人ない人、切ったら治る人そもそも切れない人…
そんな人たちを十把一絡げに「がん」ってカテゴリーでくくっちゃうんだー。
どうもそのへんよく理解できなかったのでお断りしましたとさ。
さてさて、次のGWで、私が病気を発症して、余命宣告受けて10年になります。予後あと5年って言われててので、倍生きてます。
流石にここ最近はインフルやら肺炎やら骨折やら、立て続けに起こっていて、なんだか色々覚悟を決めないといけないかもしれない。
主治医にも遠回しに実家へカエレ!って言われたしね。会社もやめないといけないかもしれないし。
コロナ騒動で、免疫幼児並の私はなかなか退院できません。
早く収まりますように。
みんな家でじーっとしてくれますように。
中島は磯野を野球に誘っちゃダメだぞ!
そして渡を早くシャバに出してください。
つれづれなるままに…
現在椎間板ヘルニアで入院中。
歩けないし、透析に行けないので。
で、今月末退院予定なんですが、
もしかしたら介護認定を受けられるかもしれません。
整形も緩和も血内も、先生方が強くプッシュするのが電動車イス。
背中にバッテリー背負ってタイヤと一体型の電動機をガチャンとくっつけるやつとか、昔からあるシニアカーみたいなやつとか、今は色々あるのね。
で、在庫があれば↓のWhillっていうスタイリッシュ車椅子を借りたいなー。 なんて夢見たりする。
なんか近未来な感じだよね。ハイテク!
さて。装具の還付金の申請書作成にも飽きt…疲れてきました。ヘルニアでおしりが痛くて座るのしんどいです。
この入院中に引っ越ししてしまうのが目標です。ネットで内見、親に書類運びをしてもらって契約、ネットで引っ越し屋さんの相場を調べ、親に立ち会ってもらってこちらも契約。
両親には本当にお世話になりっぱなしの人生です。透析・癌・ヘルニア持ちの独身者(42歳)www地雷しかないwww
あと会社ね。会社も今結構大変な時期で、グループLINEがピコピコ鳴る度に申し訳なくて辛くなります。ごめんね私が帰ったら大型連休取るんだって言ってたのに、私の次はコロナに阻まれてるね…。大変申し訳ない。
あちこちに迷惑をかけまくっていき長らえてる私ですが、コロナにはかかるなと血内の主治医より厳命をうけております。
「移ったら必ず復帰して!それ俺論文にして出すから☆」だって。チキショーめ。
腎不全、そして転職
腎不全で透析を始めて、会社を変わりました。
同僚に「障害者と一緒に働きたくない。」と言われたんですね。
上司からは、言った方をクビにすると言われ、お客さんからも慰留されましたが、それを言わせる風土の会社にいるのが辛くなったのです。
最初は逃げてるみたいだし、引き留めてくれる人がいるのに…とか思ってたんですが、家族や友人が「そんな安月給のところに義理を果たす必要はない」と口を揃えて言ってくれたので、思いきって退社して転職活動することにしました。
候補になった会社はゲーム会社と病院、専門商社の3社。
面接で提示された給料が3社とも前職より高くて、障害者雇用より低賃金な前職(一応管理職)って…と、ちょっと涙目になりましたwww
結局そこから仕事内容とか駅からの距離とかから専門商社を選択。
嘱託社員というのが一番のネックでしたが、まあ更新でクビになることはないし、ボーナスも、今まで年間で5万とかしかもらってなかったからあんまり気にしないし、新卒の頃だったら多分入れなかった会社だし、まあいいかなぁ、と。
入社してから数年後、今度は多発性骨髄腫で入院するのですが、この時に改めてこの会社のありがたみを感じることになります。
香港・海外透析(カウントダウン編)
透析が終わって、一旦ホテルに帰り、翌日のディズニーランドの割引チケットをゲットしてから今回の旅のメインイベントである、カウントダウンクルージングに向かいます。
ディズニーの割引はJCBのカードデスクで申請してから購入するのですが、10%引きだったかな。JCB行く途中で有名な重慶大厦がででーん。
両替場所探して迷ったら嫌だからと、ホテルで一気に両替したことを激しく後悔。あー。なんて分かりやすい…orz
クルージングではビュッフェらしいので、お腹を減らしておかなきゃ。というわけで、カフェでおつまみとコーヒーで休憩しつつ、集合時間を待ちます。
しっかし、香港は建物が高い。
土地が狭いから上へ上へと向かうのでしょうか。日本のタワーマンションも真っ青な高さのビルがにょきにょき建ってます。でもって、このビルの建築現場を見たら、足場が竹なんですよ。竹。
間近で見ると、さすがに下の方は鉄パイプ使ってましたが、竹部分との連結が適当すぎる!あと、竹の種類がね。日本のものに比べて随分と肉厚なんです。だから大丈夫…なのか?ぇぇー。
まあそんなこんなでお時間です。
気付けば会場入り口には人がうじゃうじゃ。
船着き場で、漢方臭いホットワインとかポップコーンを食べて船の登場を待つ私達。
しばらくすると向こうの方から派手な船がやってきました。
…何かに似ているけど、何だろう…。
…ぁ。スーパー玉出だwww
まさかアレに乗るのか。いやそれはそれで楽しそうだ。と盛り上がってたのですが、スーパー玉出は目の前をスイー。その後にきた結構普通の船にのりこみました。
船は生バンド、ビュッフェと、そこそこの内容でしたが、所々経費削減的なちゃちい部分が見え隠れしていたのが残念でした。
カウントダウンが近づくと、港の回りは大小様々な船がうじゃうじゃ。黙視だけで20隻以上はいたでしょうか。
カウントダウンは皆でコール。3・2・1、ハッピーニューイヤー!
で、何故か流れる蛍の光。あれ。これって新年の曲なの?あれれれ?
肝心の花火はさすが船上。バッチリ見えました(見とれてて写真全然撮れなかったwww)。
香港・海外透析(病院編)
さて。何だかんだでオサレなカラオケ屋のような内装のロビーでチェックイン。
しかしロビーが香水臭いのなんのって。
なんかそういう服屋あったよねー。外資系のファストファッション的な。
しかし部屋は綺麗。
バスルームがガラス張りでも気にしない(カーテンあります)!
お水も1人1日700ミリリットルのが1本ついてるし、コーヒーもネスカフェのバリスタ入ってるし、シーツも変な臭いしないし、なかなか良い部屋でした。
到着当日はやたら身の多い北京ダックに首をかしげつつ、腹がちぎれそうになるまで食べまして、
くたびれ果てて眠りについたのでした。
そして翌日、朝の6時に起床。
朝ごはんは前日に場所を確認していたマクドへ。マクドは朝マックしか行かない私。マフィンおいしいよね。
急いで食べて、タクシー捕まえて、さて、カノッサ病院へ!
タクシー乗って、最初バスでいこうとした私を殴りたくなりました。こんな道、バス降りて10歩で力尽きるわ!ってくらいの坂道!
歩行者の体が斜めに傾いでるよ!あほか!止めてくれてありがとう病院の日本語スタッフ!
病気に着いたら受付で名前を連呼して透析室まで案内してもらいます。
それから体重を計って、診断書とか透析記録とかを提出して、軽く問診。
…日本語スタッフ仕事しろ…orz
結局穿刺してしばらくしてから日本語スタッフ登場。遅いよ遅すぎるよ。
ウトウトしたりテレビ見たり、看護師さんの私物?らしきコーヒーとお菓子をもらったりして4時間半。30分謎の延長をかまされた上に何故かドライ+1キロで終了しw 納得いかないまま受付でお会計し、無事に香港の透析完了です。
お会計に行くとき、おばあちゃんシスターがヨボヨボと私の前に立ち、「日本語スタッフもうおうち帰っちゃったから、私がつれてってあげる(意訳)。」と私の手を握り、杖をついてヨチヨチ歩く私とヨボヨボ歩くおばあちゃんという謎のコンビが爆誕していたのは余談です。
おばあちゃんシスターは、お会計後、「タクシーを捕まえてあげようね。」と言い、車道に飛び出してタクシーゲットするという、心臓に悪い荒業を見せてくれました。おばあちゃんの手の温もりが残ったまままさかの永久の別れかと思ったよ…。怖いよ香港!
香港の透析はちょっとアバウトだなぁという印象です。
スタッフは皆さん気の良い人なんですけどね。次回はないかなぁ。もう1つの病院にするかもなー。という感じでした。
香港・海外透析(出発編)
さて。香港。
朝関空で友達と待ち合わせ。
ANAのカウンターでチェックインするときに車イスの介助は必要ですかと聞かれましたが、杖をついて歩けるので大丈夫です。とお断りしたら、ファストレーンのパスを出してくれました。
ついでに席も前の方に変更してくださって、ANAさん本当ありがとうございます。
お陰様で足がプルプルになることなく、無事出国できました。
さて。無事香港についた私たち。
入国審査も優先レーンを案内してくれました。
香港良い国!
空港で両替をして、電車で一気に市街地へ。
香港駅からはホテル行きのバスに乗る予定でした。
駅でバス乗り場につくと、係りのおっさんに「お前のホテルはそのバスじゃねー(意訳)。」
と言われ、その通りに並び直してバスに乗りこみ、
乱暴な運転にはしゃぐこと30分。
運転手が「おめーらどこ行くんだよ?」と怒鳴ってきまして、
「パークレーンだよパークレーン。」答えると謎の沈黙が。
「バス違うよ…。」
「…ぇ?」
「近いけどルート違う。」
「係りのおっさんがこれ乗れって…」
「タクシー乗り場で降ろしてやるから乗り換えな。」
「…えー。」
香港駄目な国!
と、まあそんなこんなでなんとかホテルに到着したのでございました。